特別対談 蓮香寺 樋口誠順師 ×鶴島義和
「寺院で仏様を荘厳する」
特別対談
蓮香寺住職 樋口誠順様 × 京仏商谷口社長 鶴島義和
南北朝時代に創建され、川中島合戦の戦火にも屈することなくその歴史を紡いできた蓮香寺。現在も、地元の人びとの心のよりどころとして、たいへん親しまれています。
住職の樋口誠順師は、鶴島義和社長にとって、心の師とも仰ぐ人。失火によって全焼した本堂を、檀信徒の力添えと、日々の努力の積み重ねによって再建した不屈の人でもあります。鶴島はそんなご住職の思いを受け、ご本尊の阿弥陀如来像をはじめとする五体の仏像の造立、本堂内陣の荘厳に関ってきました。
緑が風にそよぐ爽やかな一日、二人は、ふだんは口に出さない自分たちの思いを語り合いました。
プロフィール
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浄土宗 光明山 蓮香寺 二十八世 樋口誠順(ひぐち・じょうじゅん)様
昭和10年長野県生まれ。芝浦工業大学電気工学科、仏教大学文学部仏教学科に学ぶ。 長野県立長野工業高校で教鞭をとるかたわら、昭和39年より蓮香寺の28世住職となり、現在に至る。
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京仏商谷口 代表取締役 鶴島義和(つるしま・よしかず)
昭和24年京都に生まれる。京都外国語大学イスパニア語学科卒業。昭和46年から大阪・南堀江の㈱山中大仏堂へ修行生として住込み勤務、3年間の修行生活を経験する。昭和49年(有)京仏商谷口に入社し、実兄の谷口弘文と共に家業に専念。昭和63年谷口弘文死去(享年43歳)。平成元年代表取締役に就任。 平成14年株式会社に組織変更。現在に至る。
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蓮香寺
創建は貞治6年(1367)。京都・知恩院を総本山とする浄土宗の寺。長野オリンピックの際、ドイツチームのゲストハウスとなったことで一躍有名に。現在の本堂は昭和42年に再建され、平成5年に増改築されている。庫裏及び鐘楼門は明治初期の建築。 長野市川中島町原101 TEL:026-292-1546
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生涯をかけた本堂の再建
樋口様 |
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「鶴島さんとは、ずいぶん長いおつきあいになりますなあ」
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鶴島 |
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「そうですね。ご住職が新しいご本尊をつくろうとされていた頃ですから、私が20代の終わり、ご住職が40代の働き盛り。 いつも精力的に動いていらして、忙しい方だなあくらいに最初は思っていたのですが、ご住職の胸に秘めた志を知った時には、ああそういうことだったのかと頭が下がる思いでした」
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樋口様 |
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「私の母の不注意から本堂が焼けてしまって。当時学生だった私を母が呼び戻して、預金通帳を預けた。そして“頼む”と言ったんですね。 その言葉は忘れられません。その時以来、私の一生はお堂を再建することだと、腹をくくったわけです」
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鶴島 |
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そんなお母様の思いを胸に、本堂再建を発願され、多くのお壇中と共に成就された経緯、そしてご本尊を新しくお迎えするにあたり、ご住職の篤い志のもと、浄財を募ることなく自らの手でこつこつと準備されたことを知り、尚一層仕事に熱が入ったのは事実でした。
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樋口様 |
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いやいや。どちらにせよ、私たちは皆様からいただく浄財で生きているのですから本堂を再建できたのはもちろんのこと、そして、ご本尊さまを新しくお迎えできたのも決して私の力ではなく、皆様のおかげなんです。 でも、須弥檀だけは、その時の母の預金通帳にあったお金をもとにしてできたものなので、鶴島さんに立派なものをつくっていただいた時に、母の名前を施主として入れさせてもらいました。だから私は「仏さまを母が支えている」と思って幸せを感じています。
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ものづくりへの情熱
樋口様 |
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「それにしても、あなたの仕事ぶりは頑固そのものですなあ」
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鶴島 |
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「そうでしたか?!」
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樋口様 |
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「注文しているのはこちらなのに、“そんなのはダメだ”と受け入れてくれない。安くしてくれと言ったら、“それなら他のところでやってもらえばいいでしょう”と平気で言う人ですから」
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鶴島 |
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「生意気言いまして…すみません」
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樋口様 |
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「いや。私はあなたの信念に打たれましたよ。“自分は掛け値で物を言ってるんじゃない。それだけのものをつくって、それだけ費用がかかるから言っている。特に蓮香寺については、安くしろと言われたから安くできるというようなものは、ひとつとしてつくっていない”。そうきっぱり言い切られた時には、すごい職人気質だと思いました」
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鶴島 |
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「あらためて伺うと冷や汗がでますが…(笑)でも、私自身も当初、ご住職の注文されることの、奥の深さが理解できていませんでした。 なにを注文される場合にも、檀家さんのことや先々のことを熟慮された上でおっしゃっているということが、自分も年をとるにつれて、だんだんわかってきたんです。 だから、私を育ててくださったのは蓮香寺様であり、ご住職だと思っています」
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樋口様 |
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「ところで、あなたもそうですが、仏師の林さんも職人ですなあ。」
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鶴島 |
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「ああ、そうですね。一見柔和に見えますが、彼も頑固ですね」
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樋口様 |
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「私がご本尊を彫ってくれる仏師を探していた時、あなたが林さんを紹介してくれたでしょう。私は正直言って、こんな若い人で大丈夫かなあと思ったんです。 そこで林さんに仏像に関するちょっとした質問をしてみた。 失礼な話ですが試したんですな。そうしたら、私の仕事場に行きましょうと誘われました。 行ってみたら狭い仕事場に仏像関係の本が山のようになっていた。 ああ、これは失礼なことを言った。 さすがに松久朋琳先生のお弟子さんだけのことはあると思い、それ以来、私のところの仏像は全部、お願いするようになりました。 いまではあちらこちらから引っ張りだこで、お忙しいと思うのですが、とてもいい仏様をつくっていただいて、感謝しています」
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この世に仏の浄土を再現したい
鶴島 |
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「新しい本堂は檀家さんにも好評のようですね」
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樋口様 |
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「そうそう。みなさんうちでお葬式をしたいとおっしゃいますなあ(笑)。私はね、本堂をつくる時に三つの原則を考えたんですよ。
一つ目はお参りがしやすいということ。座らせられたら窮屈でしょう。 だから椅子に座ってお参りができるようにしました。内陣を、椅子に座ってちょうどいい高さにこしらえてもらっています。
二つ目は極楽浄土を再現しようということ。このお堂は冷暖房完備です。当時は檀家さんにずいぶん笑われましたよ。でも、極楽は暑からず寒からずでしょう。だからここもそうしようじゃないかということで。いまでは反対していた人も「極楽だぁ」って喜んでいます。
三つ目が極楽浄土にふさわしいように、仏様を荘厳するということ。鶴島さんにご協力いただいて、進めてきたことです。ひとつひとつの荘厳具がなぜ美しいかというと、それは阿弥陀様が導いてくださる浄土は、こんなに素晴らしい世界なのだということを、実感してもらうためです。
お寺の内陣は、この世につくり出された仏様の浄土なのです。だから単に美しいのではなく、ひとつひとつが意味を持っている。 鶴島さんにお願いすれば、私以上にそのことを思って仕事をしてくださるから、私は安心しているんです。 最近、羅網瓔珞(らもうようらく)を鶴島さんのところで美しく仕上げてくださって、内陣は一段とはなやかになりました。 みなさんにその素晴らしさに触れてもらい、浄土への思いを深めていただければ、私はこんなに嬉しいことはないです」
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鶴島 |
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「私も、みなさんが手を合わせてくださる仏様や、その内陣をプロデュースする仕事をさせていただいて、本当に有難いことだと常々思っています。ご住職の思いに負けないように、これからも精進してまいりますので、今後ともよろしくお願い致します」
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樋口様 |
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「京都で鶴島さんに出会えたのは、本当に幸せなことでした。何も遠い京都に頼まなくてもと言う人もありましたが、仏様も、お堂も100年200年と残っていくものですから。私は自分の選択に自信を持っています。私の方こそ、これからもよろしくお願いします」
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鶴島 |
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「そう言っていただくと、気持ちが引き締まります。本日はどうも、ありがとうございました」
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