日々雑録
仏像修理の話91『驚きの歴史★天神像の修復』
少し珍しいお木像が弊社工房にやってこられました。
繧繝縁の畳に座られたお像は、
笏を持ち、刀を携え、束帯を付けてられた束帯姿の菅原道真像です。
束帯天神像とも呼ばれます。
全体を黒く彩色された玉眼の神像ですが、
木寄せされた接合部は遊離し、全体に下地の亀裂が確認できます。
この段階ではまだ、今回のお像が特異な構造をしていることは想定していませんでした。
今回の修理は、既存の下地を除去し、木地に戻し解体する復元修理。
水に浸けて、下地を除去し、こちらが解体後の画像ですが、
今回の特異な構造が、この画像からも少し垣間見れます。
その特異さの一つは、
お像の形容に対して、木片が多すぎること。
修理の回数が多くなると、木地の接ぎはぎが多くなって、木片が多くなることはよくあるのですが、
頭部胴部の中心は、損傷なく当初の木地が残っています。
もう一つ気になるのが、お像の赤茶色の部分。
この赤茶色は、木地の補強に塗られた漆。
もとは全体に塗られていたはずですが、何故だかその漆がのっていない部分があります。
この、不自然な木片と色の違いは、
この天神像の来由に関係が大いに関係するもので、
こちらのお像、もとは高僧のお像ではなかったかと推測。
天神像に作り変えるため、
もとのお像を削り、また新たに補作し、
その改造は、特異な工法で、
新たに補作する部分を 木片を芯材にして、土(粘土)で天神像が成形されていました。
木片を芯材にして、土で成形。
もとの彫刻に土を埋めて成形。
腹部の丸みを土で成形。
などなど。
画像ではわかりづらいですが、結構な範囲を、結構な量の土で成形されていました。
いわゆる、刻苧(こくそ・・・木粉と漆、木と接着剤を混ぜてパテ状にしたもの)を
部分的に充填するレベルではなく、驚きの修理内容でした。
木地修理後がこちらです。
接合しますと、漆が塗られていた部分が激減しました。
土の部分は、解体する際に崩れ去ってしまいましたので、
木と刻苧で成形し直しました。
想定していない事柄でしたので、
木地修理は思っていたより時間がかかりましたが、
以降の工程は、いつも通り。
いつも行っている、和紙貼りと木地堅めは、
刻苧の成形が多い構造ですので、その効能は高いはずです。
仕上げは彩色ですので、下地を塗っては研ぐ工程を繰り返し、
胡粉による白地で仕上げ、
彩色前に、下地で埋まった瞼を削り出す眼出しを経て、
彩色が完了して修復完了です。
仏像、今回の場合は神像ですが、それぞれに歴史があって毎回興味深いのですが
修復することによって、その歴史の一部を垣間見れることは非常に有意義なことと思います。
修理を経て、さらに未来へ繋ぐお手伝いをさせて頂けることに大変嬉しく思います。
仏縁(神縁)に感謝。